外科や脳外科などにはスーパードクターと呼ばれる人がいる。
そう呼ばれる人たちはテクニックや判断力などの総合力がズバ抜けており、精力的に活動することによって実績をさらに積み上げ、クチコミやマスコミを通して知名度が上がっていく。
しかし、一見地味な内科、それも糖尿病や高血圧症などの生活習慣病を専門とする医師の中にも「スーパードクター」はいる。
生活習慣病の診療・治療にコツやテクニック、工夫の余地や担当医による成績の違いなど大してないのではないかというのは誤解だ。
素人考えでは、糖尿病などであれば、もうすでにある程度診断の基準も定まっているし、劇的な効果を持つような新薬もそんなにポンポン出てくるものでもないだろうと想像できる。
治療そのものだって、患者の母数が多いからそこから統計的に導きだされるデータを用いて、確率的にベターな治療手順・マニュアル・プロトコルがあるだろうという気がする。
それらを踏まえた上で患者ごとに医療をアレンジする余地はあるだろうか。
医療のアレンジではないが、患者の行動変容に関わる部分での差が医師によって大きいのではないかと思える。
生活習慣病、そしてその周辺の「疾患」はその患者の人生と切り離すことが難しい。
生活習慣=人生、「生活」も「習慣」もその人間そのものと言ってもいいからだ。
極端に言ってそれを治療するというのは、過去の生活や習慣を「悪しきもの」として否定することを含む可能性がある。
この部分が、生活習慣病について患者が病識を持ち治療に取り組むのが難しい点である。
これが癌や怪我、突発的な心疾患などであれば当事者も周囲もやや感覚が異なる。
実際には背景に長年の生活や習慣などとの因果関係はあるのかもしれないが、まだまだそのつながりはハッキリと確定しているものが少ない。
であるから、癌であればその多くの種類では「本人(の過去)が悪い」という判定を皆しない。
その疾患を本人とは切り離して外部化することが容易だ。
しかし内科的・慢性的疾患では疾患と本人のパーソナリティが同一視されやすい状況があると言える。
ここで「内科のスーパードクター」の話に戻ると、私の定義としては患者の病識や治療への取り組み、行動変容の分析と示唆、コーチング的診療などの技術・知識・能力を持った医師ということになる。
おそらく目にも留まらぬメスさばきや、繊細なカテーテルの操作・タッチなどを持っているわけではないから目立たない。
しかし、内科のスーパードクターの治療成績は明らかに優れているはずだ。
その背景にある要素は可視化するのが少し難しいかもしれない。
患者の人生や過去の習慣を否定しない、その患者が疾患についての知識や認識がまだ不足しているのか、それとも金銭や通院・内服などに関わるコストと日常を天秤にかけているのか、現時点でその疾患の治療が最優先とはならない要因があるのか、などの把握・推察・扱いが診療の成否を決めていく。
言ってしまえば、医療・診療でなくとも、人間同士が接する仕事・状況では必ず必要になるコミュニケーションの力・技術・心である。
精神科領域を専門としていなくても、内科系の医師はメンタルヘルスに関するトラブルや患者に対する能力を経験的に備えている人が多いというのはこうした現場の背景とニーズがあると思われる。
2010-12-15 07:00
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