背伸びを止めたら生きていけない(社会的な意味で)

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日本や先進国の国民が、「成長や改善はもういいからゆっくりしたい」と言うのはナンセンスで、「めいっぱいの努力を続けないと現状維持できない」というのが認識として適当でしょう。
人間の欲望の大きさや慣れという性質から考えて、いったん背伸びをして高い場所の物を使ったり眺めを楽しんでしまったからには、身体が楽をできるとはいっても、今さら地面スレスレに目線を落として生きることや、ちょっとしゃがむことには抵抗を感じると思います。

もちろん人間の可能性は無限ですから技術的・思想的イノベーションが生まれて、時代が明らかに変わるかもしれません。社会としてあえて成長ありきモデルを見直すなり、個人などのレベルで選択の自由を認める仕組みが整備されるかもしれません。
しかし、現時点では、社会が大きく良くなっていく速度があまりに速くなったために、地球上での乗り物のように空気抵抗などと拮抗してしまっているような感覚があります。
その世界ではアクセルを緩めれば途端にスピードが落ちますし、最高速度を維持するのには多くの燃料を必要とします。安全や本体のメンテナンスにも支障があるかもしれません。物理的常識から言えば燃費が悪いのです。
ただ、この状況それ自体が悪いというのではなく冒頭のように現在の速度や成長と費用対効果、つまり燃費のようなものとのバランスをうまく認識しているかが大事になります。

香山リカ氏と勝間和代氏の対談本を読みました。「現状維持・限界」思考の香山氏と「成長・希望」思考の勝間氏の考え方は相入れないものではなく、選択や多様性の自由を認めればなんの問題もないと思えます。しかし、現状の認識についてはできるだけすり合わせないと全体として必要な意思決定ができず、誤解や争いの種になります。
「そんなに努力を強要しなくても現状維持じゃダメなの?」という香山氏のような感覚には、その望みすらも実は高コストで危ういというイメージがありません。
「頑張ると皆のハッピー総和が増える!」という勝間氏の思想には確かにプレッシャーだけを感じさせられる人も多そうです。

メンタルヘルスの問題が社会として増えているとは言われますが、例えばストレスの種類のようなものは社会の成長や変化によって急激に変わっています。
社会や個人の成長が格差・コントラストの絶対値を増やすのは明らかですが、まずはその現状をできるだけうまく認識し、写しとった上で様々な議論した方が良いと感じます。

2010-04-21 7a.m.

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