アスパラ生け花問題

記憶と想起に関連して、私が「アスパラ生け花問題」と呼んでいるものがあります。

ある物事について当人が「忘れたことすら思い出せない」という現象のことをそう名付けました。そうは言っても、その物事を完全に忘れてしまったのなら仕方ないし、問題にしようがないではないかと思われるかもしれません。

思い出したいことが思い出せないというこの現象が問題になるのは、それが繰り返し起こる場合です。想起した時には「あっ、これをやらなくちゃ!」などと考えますが、いざそれを実行するべきときにはその存在をまったく思い出すことができないのです。

なぜこれを「アスパラ生け花問題」と名付けたかを話します。

私が働くビルの階段の踊り場に、ボランティアで定期的に生け花を飾ってくれる方がいらっしゃいます。私には華道の心得はないのですがたまに立ち止まって鑑賞しています。

ある時私はその生け花を見てちょっと驚きました。普通の花や草木と併せて剣山にアスパラガスが生けてあったのです。見間違いではないかとしばらくマジマジと見入ってしまいました。しかしどう見てもそれはスーパーに売っているのと同じ、茹でたりして食べるグリーンアスパラガスのようでした。生け花や盆栽などには様々な植物が使われるのでしょうが、アスパラガスに対して食材としてのイメージしか持っていなかった私にとっては、それが生け花の素材にもなり得るということが頭でうまく理解できなかったので違和感が強く印象に残りました(笑)。

生け花の素材としてアスパラガスがよく使われるものなのか、それとも生けてくださっている方の流派が若干前衛的だったりするのかどうかは今のところ尋ねたり確認したりはできていません。

なぜならばその場所を通る度に「アスパラと生け花」についての疑問が浮かぶのですが、すぐに、それを調べるだとか友人に話してみるということをすっかり忘れてしまうからです。

似たようなことで、浴室で石けんが切れてしまっていることに気付くけれども風呂から上がると石けんの補充をメモすることを忘れてしまう、ということを何度も繰り返したという経験もあります。

人の記憶や想起には「ある場所」や「ある場面」などに強く結びついてしまうものがあるのかもしれません。するとその件に関してはあらためて同じような状況になるまで存在すら思い出せなくなってしまうのです。

これが石けんのことくらいであればいいのですが、何か人生の大事や素晴らしいアイデアなどについて、忘れたことすら忘れてしまうというのは、気になってしまうと怖い感じもします。

という訳で、私はまた「アスパラ生け花問題」に出会いながら、メモなどを取ることもなくしばらく抱えていくのかもしれません。

2010-03-26 3p.m.

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